最後の夜はナイル川で夕涼み

写真アハマド一家。
おとといの夜は、アハマドのお姉さんジハーンの家に遊びに行っていたのだが、「アハマドの子供たちが『寝ている間にアティコが帰っちゃった』と大騒ぎだったって」と。

たった二晩なのに、子供たちとも仲良くなれた。
というか、エジプト人は大人も子供もすごく情が深い気がする。

(一時間ほど前に帰宅しました。この記事とその前の2本は昨日エジプトで書いて、自宅でアップしたものです)

昨日の夜も、最後ナイル川沿いのクラブで別れる直前の30分くらいは、長女ヤスミーンとマルワに「どうしてあともう一泊うちに泊まってくれないの」「ホテルは明日の朝行けばいいから一緒にうちに帰ろう」「アイ・ミス・ユー」「次はいつくるの?」と言われ続け、正直なところ、そう言ってくれるのはすごくうれしいんだけど、なかなか大変でもあった。

昨夜は、アハマドの奥さんシャヒナーズと子供たちと、シャヒナーズの兄弟とその子供たちで、ナイル川沿いのクラブに夜遊びに行った。

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途中でシャヒナーズがタクシーを降りて、スイーツのお店に入った。そしてショートケーキやエジプトのスイーツを大量購入。

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エジプト人は、甘いものが大好きだ。
それで、男性も女性もとにかく太っている。糖尿病になる人が多いとのこと。

特に女性は、結婚して子供を産んだ後もスリムな人というのはあまり見かけない。40歳過ぎると、階段登るのもしんどそうなくらいに恰幅良くなっている場合が多い。

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写真はお店の中にあったホールケーキ。

普通のケーキに見えるかもしれないが(見えない?)、スポンジケーキには「これでもか」というほどにシロップ浸しになっているケースも多い。普通のショートケーキも、ありえない甘さだったりするのがエジプト式だ。

きっと日本の「さりげない甘さ」のケーキなど食べたら、物足りなすぎて砂糖をかけたくなるかもしれない。

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コナーファやバスブーサなど、エジプトのスイーツも大量に並んでいる。
この時期は特にたくさん食べるのだという。

ナッツなども入っていて、こちらは癖になる味だったりもする。

どれも1kg単位の価格が書いてあるので、自分はいつも「ロバキロ(1/4キロ)」「ヌスキロ(1/2キロ)」と注文しているが、それでも多い。

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エジプトのスイーツは、こんな厚紙でできたお皿にきれいに盛り付けて包装してくれるのだが、他の人が注文するのを見ていたら、普通に1kg単位だった。1kgの甘いお菓子ってすごい量だよ!!!

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今回、シャヒナーズの兄弟&ヤスミーンの従兄弟たちが集まったのは、クラブ・ナイルという、ナイル川沿いにあるクラブ。敷地も広く、中にはサッカー場やバスケットボールやテニスコート、滑り台などの遊具がある場所、体育館などあって、カフェスペースもかなりの広さ。

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目の前にはナイル川。
そして、カップル達のデート場所としてもほっとな橋がかかっている。

対岸にはフォーシーズンズホテルや、船上レストランなどが見える一等地だ。

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その2日前に訪れたザマリッククラブほどではないが、やはりたくさんの人たちがでてきていて、サッカー場でも子供たちが元気にボールを追いかけていた。

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特に何かをするというのではなく、家から食べ物やお菓子などを大量に持ち込んで、夜が更けるまで家族や親戚や友達達とずっとおしゃべりしながら夕涼みする。そんな過ごし方を、ラマダーン時だけでなく普段でもよくしているそうだ。

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シャヒナーズとその兄弟たちも、どこかに遊びに行った子供たちには構わず、ずっとおしゃべりを続けていた。

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15歳のヤスミーンと、10歳の男の子ムハンマドが年長で、あとはみな小さい。
マルワと、マルワより少し小さい女の子二人がとにかく元気でやんちゃで、「みんな行くわよ!」と従兄弟全員をひきつれて、クラブ内を走り回っていた。

イスラム圏ということで、イメージとしては女性がすごく弱い立場にあるように思われがちだが、暮らしてみるとわかる。少なくともエジプトは、女性のほうが強くて元気で、喧嘩でも本当に口が達者だ。どこかにまだ男尊女卑的な感覚も多少残っている日本人から見ると、びっくりさせられることも多い。

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遊具で遊ぶ子供たち。

最初は見慣れないアジア人を遠巻きにしていたが、すぐに懐いてくれて、「アティコ。アイザ・エ?(何食べたいの?)」「サワルナー(写真撮って!)」と、めちゃめちゃ絡んでくれた。

遊具のある場所では、よその子供たちが、ちっちゃな声で「ハイ」「ハロー」とか言いながら自分たちを興味津津で見ているのが、ちょっとうれしかったりもしたみたいだ。

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これはヤスミーンが頼んでくれたジュース。
・・・かと思ったら、トマト味で香辛料のクミンもよくきいた、かなりスパイシーな飲み物だった(そしてストロー入っているけどすごく熱い)。

ヤスミーンとムハンマドは、親たちとカフェスペースに滞在しながら、自分に大量の質問を繰り出してきた。

「日本の学校は何時間勉強するの?」
「レストランたくさんあるの?」
「どんな食べ物を食べるの?」
「スポーツは何をするの?」

中には

「中国人はごきぶりを食べるって本当?」

なんてのもあった。
即答で否定したけど(中国人は世界でも有数の美食民族なんだぞ!)

ついでなので「中国料理はとてもおいしく、(ごきぶりは食べないけど)4つ足のものは何でも食べるといわれている。ただし椅子を除いて」と説明してみたんだけど、このジョークは通じなかったようだ。

「なぜ椅子を?」
「いや、だから椅子は食べないの。椅子以外で四つ足があるもの」
「???」

もしかしたら「中国人はテーブルを食べる」など、別の話を広げてしまったかもしれない・・・。

楽しい夕涼みは時間がたつのも早く、24時少し前にお開き。
そして自分はこれでお別れ。

ヤスミーンの写真がないのは、
最後のほう、彼女が「アイ・ミス・ユー」を繰り返しながら沈んでしまったからだ。

ぎりぎりまで何度も「今日もう一泊私たちと泊まっていって」と言われ、母親のシャヒナーズにも「アティコを一緒に連れて帰らなくちゃ」とせがむ。

自分も、たった数日間とは思えないくらい思い入れが強くなってしまっていたので、別れがたいが仕方がない。

前回ヤスミーンにあったのは、
彼女がまだ8歳の時だった。

次にまた会う機会があるかどうかわからないが、その時はきっと、彼女はもう成人しているだろうし、もしかしたら母親になっているかもしれない。

いやでも、「また会えるはず」と思って別れた大家さん夫婦ムッシュー・サーデクとマダム・サミーラは、その数年後に亡くなって再会は果たせなかった。今回も息子のアハマドに二人と一緒に写っている自分の写真をたくさん見せてもらい、思わず涙してしまった。

そう思うとちょっとぐっときたが、
アハマドやジハーンには二人の面影がある。

孫のヤスミーンやマルワ、ヌールの中にも、サーデクとサミーラがいる。

きっと元気でいれば、また会えるだろう。
イン・シャー・アッラー。

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17年前に、この一家と出会えたことに感謝。
アル・ハムド・リッラー。