「モナエシディン・マザール」はバス通りから離れているようだったので、タクシーを使った。市内は一律5元(75円)だ。日本感覚だったら安いのだが、1元(15円)のバスに乗り慣れてしまうと、なんだか贅沢な浪費のように感じてしまう。
本当に静かな場所。
奥はモスクになっていて、中も見ることができるのだが、金曜日の夕方の礼拝の前で地元の人が結構いそうな感じがしたので、やめた。
お墓はたぶんこのあたりのどれか。
そこから亀茲古城へ。
ガイドブックには「西に歩いて10分」とあるものの、地図にはかなりアバウトな場所しかマークされておらず、とりあえず夕陽の方向に向かってゆくことにした(自分もかなりアバウトだなあ)。
トルファンが「葡萄」の町だったとすれば、ここはポプラ並木の町。
こうした舗装されたきれいな通りの両脇にも、また細い土の道の両脇にも、まっすぐこの木が並んでいる。
エジプトもそうだったけど、埃が立ち込める街は、夕暮れがすごくきれいだ。
「モナエシディン・マザール」は、わざわざタクシー乗って来るほどのものでもなかったけど、こうした風景の中を歩けたのだからよしとしよう。
ビデオ撮影していると、いきなり路地から羊の群れ。
羊たちは、水路脇のこの道に入っていった。
クチャは、町の中心部をちょっと離れると、こんな風景になる。
夕陽の方向に向かったのは間違いではなかったようで、ウイグル人のおじいさんとおじさんに道を聞きながらたどり着いた亀茲古城。・・・の跡地。
ガソリンスタンドの向かいの、空き地みたいなところにあった。
よく見逃さなかったなあと自分で自分をほめてあげたい。
城跡にたつ石碑そのものが、なんか遺跡状態だ。
ただ、その路地を少し奥に行ったらこんな風景も見られたので、こちらも来た甲斐あり!
ちなみに、クチャにはいろいろな交通手段があった。
まず自転車の後ろにほろ車がついたもの。
特にバザール周辺などで、頻繁に行き交っていた。
これが、バスとか車とかの間をすり抜けて走っているのだから、ある意味スリリングだ。
こっちは荷台がついた三輪の車。
もちろん馬車・ロバ車もけっこう使っている人がいた。
あとこれ。
どういう作りかよくわからないんだけど、見た感じは、原付に車体かぶせたみたいな?
これも、客を乗せて走っていた。
値段交渉をしていたので、たぶんそうだと思う。
まだどれも未体験なので、次にどっかでこんなのを見つけたら、
ためしに乗ってみようかなと。
> 続く