真夏のエジプトへ行こう!

  
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2001年7月23日

エジプト航空がとってくれたホテルは、期待していた☆☆☆☆☆ホテルではなかったが、比較的新しそうな中級ホテル。なぜかサウジアラビア人が多い。サウジアラビア人はみんな石油成金で、白いガラベイヤに頭には赤白模様の布(あれ日本製が多いそうです)を身に付け、ゆったり歩く・・・というステレオタイプなイメージを抱いていたが、気さくなおにいちゃん・おじさんだった。でもやはりエジプト人よりは、物腰も静かかな。

おまけの一日なので、安い乗り物でぶらぶらしてみようかと、ギザのスーク、アタバのスークなどをまわった。このアタバには、旅行者必見の食肉・魚の市場がある。日本のようにきれいに各部にカットされ、トレイに入っているのではなく、狭い通路の両側に、生々しい食肉が、血をしたたらせながら積まれている。ぶつからないように歩いていると、「新鮮だよ」とでかい胸肉や、手羽、時には鶏の頭部をつかんで顔ぎりぎりまで差し出す。「やめてくれー、血がつく・・・!」
牛の顔も皮をむいた状態で並んでいる。ちょっとかわいい。前にきた時は、ちっちゃな羊の脳みそがまな板の上にきれいに並べられていたのだが(柔らかいのでさすがにこれは積まない)見つからなかった。フライにすると、ふわふわしておいしいのだ。
プレビュー画面がついたデジカメは珍しいらしく、周囲のお店のエジプシャンが集まってきた。「よし次はこっちだ」「おれたち兄弟をとってくれ」「見せろ」「アッラー、俺だよ。」と大騒ぎ。狭い通路で逃げることもできず、解放してもらえるまで撮りつづける羽目に。「バッテリーが少ないからこれで最後。」「ああ!鶏肉触った手でレンズさわるな!」「そこ押しちゃだめ!」と私も叫びつづけながら、やっと抜け出すことができた。エネルギッシュな場所は、こちらもエネルギーがいる。

夜、食事をすませた後、路面電車にのってヘリオポリス地区のショッピングモールにでかけた。旅行者はあまりこないエリアだが、高級住宅街地区で、日本でいう「デパート」のようなものがいくつかある。10時を過ぎていたが、ショップが建ち並ぶ通りは、人でにぎわい、確かにカイロ市中心部とは異なり、お店も屋台も、もちろん歩いている人もみなこぎれいでおしゃれ。
ホテルへの帰り道、少し手前でバスを降りてしまった。大通りに面したフラットの前には、涼んでいるエジプシャン男性がたくさんいたので、じろじろ見られたり好奇心旺盛な質問をされたりするのが面倒で、車道中央路面電車沿いの幅広い中央分離帯を歩くことにした。これがいけなかったのか、エジプトでははじめての経験だが、走っている車から誘いの声が相次ぐ。「ディナーを一緒にどう?」「乗ってきな。」あげくのはてに車が二台も止まってしまい、降りてくる始末。「まいったな。」木陰や停車している車が多い歩道より安全かな、と思っての行動は、もしかしたら別の意味を持っていたのかも。押し戻す仕草をする私に、ホテル前の警備員が近づいてきてくれたので、とりあえず無事にホテルに入れた。

思い出すのは昔訪れたマカオのカジノ。ルールがわからないので、まわりの女性と同じように、壁によりかかってボーっとバカラのテーブルを見学していたら、カジノで使うコインを指にはさんで「これでどうだい?」と、金持ちっぽい中国人が寄ってくる。「いや、私はプレイの仕方がわからないのでいいです。」とにっこり断っていたのだが、しばらくしてから、どうも周囲のバッチリメイクの女性達は、カジノをするために来ているのではなく、ここで「お仕事」しているらしいことがわかった。どうりで。フェロモンゼロの私だが、女性一人で海外に行っているときは、誤解される行動をしちゃいけないですね。なあんて改めて思った。

ホテルのルーフカフェは、12時過ぎにもかかわらずほぼ満席。水ギセルをすい、バックギャモンやトランプに興じている。もちろん女性の姿はなし。心地よい風を浴びながらミントティーでも、と思っていたのだが、それこそ誤解されちゃうので断念した。明日は、ちゃんと東京行きの飛行機に乗れますように。

【インシャーアッラー】
神の御心のままに、とか、神が望みたもうならば、などと訳されるが、けっこう使う。「明日、何時に迎えに来てくれるの?」「3時半。インシャーアッラー。」「エジプトにはまたくるよ。インシャーアッラー。」「インシャーアッラー。」などなど。今より先の話をする時には、英語でいうと「will」を入れるような感覚で使う。慣れないと「そういって、また時間守らないんだろう。」などとネガティブに捕らえがちだが、別に「だめかもしれないけどね。」という意味で言っているわけではなく、枕詞的なものかも。

車掌「あんた、ラムセス駅まで?」
乗客「インシャーアッラー」

これ、「アイワ(はい)」よりなんとなく格好いいなあ・・・と思いつつ、いまだ使えずにいる返答言葉。

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2001年7月22日

なんてこった!本当なら、今ごろサウジアラビア上空あたりで、17日間のエジプト滞在を振り返り感慨にふけっているか、隣席のエジプト人に話し掛けられて、「ちょっとうざいなあ」なんて困っているか・・・のはずだった。

ところが、実際には空港から車で5分の中級ホテルにいる。
それは半日前のこと。重たい荷物を担いでチェックインカウンターに出向くと、スタッフは二本指で飛行機が飛び立つジェスチャーをして言った。
「もう飛んでっちゃったよ」「!!」飛行機の出発時間が変更になっていたのだ。
「聞いていない。リコンファームもした。全面的にそっちのミスだ。」「わかった。新たに予約を入れてあげよう。」「何時?」「来週の金曜日。」「!!」

中規模の噴火をして、なんとか二日後の東京行きになった。その後、再噴火をし、二泊分のホテルを航空会社もちにすることができたが、ホテルに到着したのは、5時間後。待たされすぎ、怒りすぎて疲れきってしまった。最悪の半日だ。

昨晩から今日の午前にかけては、すべて順調にいっていた。ホテルに戻るタクシーの運転手は、私がアラビア語を話すことに満足してくれ、「代金はいらないよ。」なんて言ってくれた。タクシーに乗るたびに値段交渉に苦慮していたカイロでは初めての体験。(悪いのでちゃんとローカルプライスで払ったが) 今日は、ホテル斜め前のカフェのオーナーの老人にお別れの挨拶にいったら、「それなら空港まで送ってあげよう。うちの近くだから。」と、車で送ってもらった。いやー、終わりよければすべてよし、やっぱりエジプト最高だよ、なんてひとりで感動していた矢先の最大トラブルだ。一寸先は闇・・・とはこのことか。仕方ないので、明日はこの周辺、ヘリオポリスでも散策することに決めた。まあ、なにかいいことのひとつでもあるだろう。インシャーアッラー。

【客引き】
「たかくない」「みるだけ」「ノーやすい(おい間違ってるぞ・・・)」「ちーっとまった(血とまった?)」「いっぷん(ワン・ミニッツの直訳)」「ぜんぶにせもの(これも違うぞ?)」「おねさん、きれえ」などなど。エジプト人の(日本人的にはアコギとも思えるときがある)商売熱心さに辟易する旅行者は多い。欧米人観光客と違い、どうしても足をとめてしまいがち、かつ一度止まると振り切って歩き出すのにエネルギーがいるのが日本人。これは「日本人が善良だから」ではなく単に日本人の習慣。「この店に用はない。」と思えば歩き出せばいいし、相手が嘘をついていると思ったら「嘘ついているでしょ」と言えばいい。って頭ではわかっているんだけどね、私も。

もう少しひねりの入った客引きの持ちネタもいろいろある。

「日本人と友達になった。本当にいいやつなんだ。その彼から手紙が届いたんだが、全部日本語なんで読んでもらえないか?すぐそこが僕の店なんだ。」
「エジプト人に日本語だけで手紙を送るやつがいるわけないじゃん」「いや日本語だけだ」「じゃあ、ここに持ってきて。ヘルプしてあげるのに私があなたのお店に行く必要はない。」

「来週東京に行くんだ。だから日本の話を少し聞きたい。ちょっと時間をくれないか。」
「東京のどこに泊まるの?何曜日のフライト?」

「そのホテルはもうないよ。同じ金額でもっといいホテルを教えてあげるよ。」
「さっき電話したらあったけど?一緒に確認しに行く?」

全部無視するという手もあるが、純粋に、困っていそうな旅行者を助けてあげよう、と思って「Can I help you?」と声をかけてくれる人や、単純に「学校で習い始めた英語を使ってみたい」中上流階級の子供だったりすることも多く、全部振り切ってしまうのはもったいない。エジプト人は、基本的に人懐っこく、フレンドリーで善良だ。しつこい客引きには、なかなか慣れることがないが、いらついていても仕様がないので、どんな呼び込みネタがあるか収集するつもりで対応してみるのもいいのでは。

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2001年7月21日

案の定、出目金になっていた。昨晩泣きすぎた。会わなくてはいけない人がまだ何人かいたが、マーレーシュ、エジプト式に「まあ気にするな」ということで、行きたい場所に行くことにした。それはシタデル。カイロ市東部に横たわる丘の手前にある城砦で、高台にあるムハンマドアリモスクからは、カイロ市全景はもちろん、地平線にはピラミッドまで見える場所。
本当は夕暮時が最高なのだ。スモッグと埃に覆われた大気に夕日が反射し、灰色がかった茶色の町は、さらに暗く沈む。緑色の明かりがともされたモスクのミナレットが、多数聳え立つ。日没時には、祈りを呼びかける声が、地の底からたちのぼってくるようにあちこちで響き渡り、「ああ、異国にいる」と感慨ひとしお。急速に冷却された心地よい風を顔に受けると、本当にその場を動けなくなるほど気持ちがいい。
日中の「くそ暑い」時にいったので、残念ながらそれは体験できなかったが、久しぶりのシタデルは、沈んだ気持ちを少し回復してくれた。

夜、ナセルシティのジハーンを訪れた。街中のカフェでもそうだったが、皆テレビにくぎ付け。そう、来年のワールドカップ出場をかけた、エジプト−アルジェリア戦の真っ最中。ホテルの部屋にいても、ゴールが決まったり、きわどい場面では、通りから「なにごと!!」というような歓声があがる。タクシーの運転手も、飛び出す車を避けるよりラジオに夢中。外国人の私のためにエジプシャンポップのテープに変えてくれたので「サッカーのままでいいですよ」と言ったものの、その後のあまりの運転の荒さに「余計なこといったなあ・・・」と後悔するほど。

昨夜はあまりの変貌振りに何を話していいかわからなかった15歳のハイサンとは、今日はたくさん話すことができた。小さいころと変わらず、好奇心旺盛で、気が回る。夜の公園では、ジハーンがベンチに座って柵に足をなげだすと「おかあさん、人がいるんだからそんな格好はだめだよ」なんて注意する。「お母さんのスカートに顔をうずめてた甘えん坊が・・・」と思うと、なんだかおかしくなる。次にエジプトに着た時には、彼らのフラットに泊まる約束をして別れた。

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2001年7月20日

涙がとまらない。明日目がはれちゃって格好悪いなあと思うのだが、気が付くと泣いてしまう。

10年前、20歳の私は、西岸のスーダン通りというところにあるフラットの5階を借りていた。大家は、同じフラットの2階に住む老夫婦で、すでに定年退職して家におり、結婚間近の次男と一緒に暮らしていた。ムッシュー・サーデクとマダム・サミーラ。そして息子がミスター・アハマド。本当に気のいいエジプシャン家族で、「私の娘」といつも言ってくれ、学校から帰ってくると必ずベランダから「タアリ、タアリ、アティコ」と招き、「今日は何を覚えた?」と新しく覚えたアラビア語の復習を手伝ってくれた。夜はいっしょに食事をしながらテレビを見て過ごし、親戚の家に行くときなどは、連れて行ってくれ、「私の一番下の娘だ」と紹介してくれた。

日本から持ってきたお土産と、街中で買ったチョコレートの詰め合わせを持って懐かしい通りに向かった。「マート」外で遊んでいた少年は、サーデクとサミーラがすでに亡くなってもういないことを私に告げた。考えてもいなかった。呆然としながら、昔、ムッシュー・サーデクが「5階のフラットは、アハマドが結婚したらすむための場所」といっていたのを思い出してのぼり、呼び鈴を鳴らす。3分ほどして扉が開いた。「アティコ?」目の前にアハマドがたっていた。その瞬間から、涙がとまらなくなった。アハマドは結婚し、かわいい女の子がふたりいた。当時、「なんてきれいな人なんだろう」と思っていた婚約者は、太ったおばさんになっていたが、私のことを覚えていてくれ、泣き止まない私のために、モロヘイヤスープとごはんをだしてくれた。女の子は、にこにこしながら、ちょっと心配そうに私を見つめる。「サミーラとサーデクが死んじゃって悲しいの」というと、わかったのかどうかはわからないが、水とティッシュを持ってきてくれた。

続きを21日に書いています。その後、アハマドの車に乗って、ナセルシティの公園に行った。アハマドと彼のお姉さんジハーンの夫ムハンマドの誕生日を祝う集まりがあるとのこと。このふたりにもとてもかわいがってもらった。そしてエジプトでは珍しい一人っ子のハイサン。巻き毛で天真爛漫、天使のようだった5歳の男の子は、なんとひげをたくわえていた!(しかも15歳にしてはちょっと太りぎみだぞ、ハイサン)その瞬間に「やっぱり10年は長かったよな」と思った。二度と会うことかなわぬ人の顔を思い浮かべるたびに涙が浮かんだが、よくよく見てみると、アハマドはムッシューサーデクに似てきている。ジハーンの「アハラン、アハラン」と歓迎するしぐさも、学校から帰ったときに迎えてくれた、マダムサミーラにそっくりだ。そう考えると、少し元気がでてきた。「サミーラは一時もアティコのことを忘れたことはなかったよ。いつも『アティコは元気かしら』って繰り返していたよ」なんて言われるとぐっと胸が痛むが、これからは、この家族達とずっとつきあっていきたい。

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2001年7月19日

夜行バスの中で、となりの英国人が妙に幅をとろうとする。肘の戦いになっていたのだが、さすがに根負けしてしまい、十分に寝ることができなかった。くそ!そのせいか、一日調子が悪く、めまいもしたので午後にはホテルに戻って寝た。まあ、こういう日があってもいいか。しかしスケジュールを見て、あと残り少ししかないことを知り、ちょっと愕然とした。

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2001年7月18日

夜、カイロ行きのバスに乗る。ちょっと鼻に問題があるのでダイビングは断念したが、なにかもったいないのでシュノーケルツアーに参加した。半日で15ドル。ボートに乗り込み、東方面のさんご礁のきれいな湾まで向かう。半分くらいはダイバーで、ダイバーたちが潜っている間、ボート周辺からビーチ沿いまで広がるさんごのお花畑でシュノーケリング。ひとりきりは自分だけだったので、エジプト人のひとりが一緒にずっとついてあちこち案内してくれた。途中、「おいおい、手を引っ張ってくれるのはいいが、背中に手をまわすなよ」と、まあありがちな面倒もありつつ、つぎつぎに広がっていく海中の美しい世界を満喫。
夕方以降、暇になったのでヒルトンホテル内にあるベドウィンテントにいった。ここでは、ヘンナを使ったタトゥーを入れてくれる。広いテントの中はじゅうたんと大きな枕のようなクッションがたくさん広げられており、夕刻の涼しい風をあびながらゆったりできるようになっている。スタッフは、エジプシャンの客や集まってくる人たちとお茶を飲み、談笑し、子供のように騒ぎながらトランプ。「いいのか、商売しなくって??」

タトゥー担当の20代のエジプシャンの夢は、ヨーロッパに行って働くこと。英語・イタリア語が堪能で、最初に会った時から頭よさそうに見えたのだが、案の定もとは大企業に勤めていたが、ヨーロッパ在住ビザをとるのに必要な資金(残高証明書が必要らしい)をためるには、シャルムルシェイクで働くのが最適、とか。富裕層とそうでない層がくっきりわかれるエジプト、この野心的な青年には、がんばってほしいなあ、と思った。

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2001年7月17日

相変わらず、ホテル周り。ただ、日中暑い時間はプール内のカウンターバーで昼寝したり、海でエジプシャンの子供と遊んでいる。(むちゃむちゃかわいい!片言のアラビア語で話し掛けると、はにかみながらずっとくっついてくる)とあるホテルで、日本語を少し話すフロントデスクマネージャーに会った。勉強中だそうだ。「こんにチわ」「オんばんわ」「みるだけ」など挨拶を話すエジプシャンは観光地に多いが、自己紹介などもできる人はまずいないし、日本人として、日本語を勉強しようとしれくれている人に会うと、やはりうれしい。

ところで、「やまもとやま」。ここ数年でピラミッドを訪れた人ならわかると思うが、ピラミッド周辺だけで流行っている(?)日本語。ラクダのりやお土産売りの人だけでなく、気さくな笑顔でただ挨拶をしてくれるツーリストポリスの人までが「やまもとやま」と言う。「意味しってる?」というと「WELLCOME」と答える。なんとなく日本人の悪意を感じてちょっと不愉快なので、みやげ物売りなどではない人には「意味が違って、『ネスカフェ』とかと同じように食品会社の名前なの」といちいち訂正しているが、いまひとつわかってはもらえない。
「さらばじゃ」はルクソール中心にあちこちの町で使われている。他には「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」などなど。ちょっと凝ったものでは「ちゃーしばかへんか」など。ちゃんとしたホテルのオーナーの人などには「『さらばじゃ』は昔の言葉なので、今の人は使わないよ」などと訂正したりしているが、だんだん面倒になってきた。まあ、受けもとれるしいいのかな。でも、せっかくなので、やはりちゃんとした日本語を教えておこうよ、と思ってしまう、まじめな元日本語教師の私。

【エジプト女性】
本当にきれいな人が多い。白人系の人と、南方のアフリカ黒人系の人、その中間の人など人種的にはいろいろだが、目が大きくほりもふかく、笑顔が素敵。日焼けしていない赤ちゃんは、ブラウンの巻き毛にまつげも長く、エンジェルそのものだ。しかし、不思議なのは結婚した女性が、その後とどまることなく太っていくことだ。路上で物売りをしている貧困層以外には、なかなか「やせたおばさん」に会うことがない。昔エジプト人のアラビア語教師が、エジプトの生活習慣について語ってくれていたときに、「エジプトでは結婚するのがとても大変で、お金もかかる。一生で最大の買物だ。ところが、その後みるみるうちに体重を増やして別の人になっていってしまう。体重について契約書を結びたいくらいだ。」などと話していたことがある。確かに。

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2001年7月16日

シャルムルシェイクに到着。カナベシュホテルという、アラブ風な(モロッコ風?)な白塗りのコテージが並び、ドアを入ると、右手にバスルーム、階段を下りるとベッドと、テレビのあるソファースペース、階段を上ると屋上にでることができ、海を眺めることができるプライベートテラス、と凝ったつくりになっている。ヨーロッパ客が圧倒的に多いリゾート地のため、ホテルもレストランも、相当趣向をこらしているところが多いのだ。午前中、がんばって写真撮影をしていたのだが、疲れて、あるいはリゾート満喫客を見ていたためか、夕方までのんびりすることにした。水着に着替え、プール内のバーで、オレンジジュース。ガイドしているドイツ人グループがダイビングにでかけ暇になったヨルダン人ガイドがウィスキーを飲みながら泳いでいる。おい、昼間っから・・・。その後、グラスボートに乗った。エジプト人家族連れが二組と、エジプト人カップルが一組。ここでバケーションを過ごすエジプト人は、かなりハイソな人たちで、お父さんは片手にソニーのビデオカメラを持ちながら、ビデオ撮影に余念がない。(どこも一緒だなあ)カップルの男性のほうも、ビデオカメラで、海を眺める彼女のまわりを180度まわりながら、ズームアップで撮影。「やめてよ」「いろいろな角度から君を見ていたいんだ」「もう」「うーん、ここからの君もきれいだ」。たまたま近くにアラビア語がわからない(と思われている)アジア人しかいなかったこともあるのか、ラブラブな会話にこちらが赤面してしまいそうになった。

【接客】
ホテルは大丈夫だが、それ以外はバスのチケット売り、銀行の窓口など、客よりも中にいるスタッフのほうが態度がでかい。年配のおじさんが、「チケットはまだあるか」と聞いても、まったく反応もせずに、書き物をしている。じれた客が再度聞くと「終わったよ」そんな風景をよく見る。サービス業以外でも、お客様は神様で丁寧な対応を受ける日本に慣れてしまっていると、ちょ違和感。

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JOHO-KAN A.Wada<egypt@joho.st>
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